本の読み合わせ – 判断力は他人の影響に左右されやすいから、陰謀論を信じる頭のいい人もそれなりにいるし、2016年の不思議な選挙結果にも納得した、という3冊

From "Slowsteps on Podcast"

突然ですが、おかげさまで、著者は方々で #みやたべろぐで有名になっているようでして、って今見たら、このハッシュタグに投稿する栃木は宇都宮のステーキハウスさんがいるようなので、もし世の中が問題なく出歩けるようになったら行ってみようかな(行ったら「#みやたべろぐ割引」よろしくね!って読んでくれることなんてないか(笑))、なんて食べ物に関してフットワークの軽い人、的に思われているらしいです。

ですが、これを書いている 2020年は、この年初から世界中で大流行してしまったCOVID-19の影響もあり、食べ歩いてそんな写真をinstagramや facebookにアップしていると

「食べ歩くなんてだめ。街を歩いている人で掛かっているけど検査すらしてもらえない人がたくさんいるんだから感染リスクが危ないのでWFH(Work-from-home)しなさい。」

なんて言っている本人は優しさを持って(でもかなり個人的バイアスのかかった事を)言っていることや

「こんな時に出歩いて食べ歩くなんて不謹慎だ。WFHって知ってるか?」

なんて、多分送ってきた人よりも私は随分早くからWFHを自分の人生で実践してきてるんだけど。。。と思うようなことを5月あたりまでに散々っぱら言われたので、正直心が挫けてしまい、世界が平和になるまでやめよう、と思っています。ずーっとお待たせしてごめんなさい。でも、そういう事情なんです。ここでこっそり謝らせていただきます。

とはいうのも、食べ合わせの良し悪しを食事では語ることがありますが、「家に留まれ (もしくは “Stay Home”)、という言葉のおかげでこの数年では一番多いくらいに本を読みふける時間が増え、その中でも関連しないはずの複数の本を続けて読んで考える「読み合わせ」なんてことをやってから、SNSで起こった事に限定する気はないものの、世の中って思った以上に色々と考えるべきことがあるなぁ、と感じた読み合わせによる結論、というのがいくつも自分の中から出て文章にしてと喉元まで出てきたので、たまにはファンドがどうとか、みたいな堅苦しい話は抜きにして、別の堅苦しい話でも書こうと思います。

自分の判断に他人が知らぬ間に影響する – どういうこと?

さて、読み合わせの最初の本、というのがインビジブル・インフルエンス 決断させる力 という、タイトルからして心理関係っぽい本。ざっくり言ってしまえば、あなたがものを買うとか何かを判断する時、自分の意思で100%判断している、と思っていますが、実は他人からの影響を受けているんですよ、という内容なのですが、ぱっとこう言われてどう感じるでしょう。

Q: あなたが私の判断に影響できる、というの?

この手の話で一番気になるのは、例えば自分がセールスとか売る仕事をしていて、自分が売りたい物を相手に買わせるのにどうしたらいいか、ということを考えて心理学的アプローチをしよう、なんて考えるある一定の人がいて(実際、そういうニーズに答えるべく20世紀以降の心理学が格段の進化を遂げている、という人もいるくらいですから)、そういうテクニックがここにあるんじゃない?って思ったりしますよね。

否定しません。実際、判断は直前の心理状態に影響されやすいことをこの本の中で引用している実験結果が示しています。二回 Yes と言わされたら多分3回目もYesと言ってしまう、というセールスマンの心理学、という本では絶対に書かれていうな「一貫性の原理」が作用することだってあるし、何かの理由で怒った後の判断って自然とネガティブになりがちですし、1日でも午後になると脳が選択する行為の繰り返しで疲れるため午前中の判断に比べて、疲れのバイアスの掛かった判断になりがちになっている、という裁判所の結果(おっと、としたらもし間違って裁判をすることになったら午前中の審議をお願いせねば。。。)、なんかもあります。

ということは、常に自分は一貫して、フェアに判断して行動している、なんていうには他人の意見に左右されない鉄のハートと思考力の体力ななければ出来ない、ように聞こえますね。

注意書き:個別性と統計的結果

一つだけ、誤解を生まないようにしておきますし、この手の本の売り文句で誤解を生むところだと思うのですが、この手の心理学の結果、というのは、それなりの実験サンプルのうち、有為性の高い結果が出ていること、すなわち、全部が全部同じ反応を示した、というのではなく、ある一定の高い確率で反応が示されたことを持ってそうだ、と言っています。ということは、じゃあ、と同じ実験を知り合いにやったとしても意図と反する反応をする可能性もあるということです。いわゆる、結果には個人差がございます、という奴です。

でも、どうしても個別性よりも統計的な結果で判断したいこと、というのはどうしても多いのも事実です。というのも、それこそ、商品(だけでなく、売り出したいアイドルでも、ある政策でもいいのですが)をより売れる(まぁ、政策までカバーするなら指示される)ようにするには、と考えるとき、ある特定の人を意図してそれぞれに個別に考える、というよりは、どういう属性の人たちに対してどういうアプローチをしたらいいのか、とある程度大きな人数のプールを基本として考えますので、統計的に効果のありそうな答え、というので十分意味を持ってくる、ということになります。

その意味では、世の女性を敵に回しそうですが、みんなの好きな占い、って、ある一定の人(星座が一緒、血液型が一緒、なんなら左手の小指の大きさが一緒)の人に向けて書かれた抽象的な文章を「やだー、見てたのってくらい当たってる」と言わせるのは、確率的に多くの人に当てはまりそうなくらいの抽象的なことを書いて、あとは読み手の都合で自分の日常の出来事に近づけるべく補完してもらって当たってる、と寄せてもらっている、ということをしている側面が強いから、な訳です。これは、コールドリーディング、と呼ばれる初対面で何も相手の情報がないのに相手のことをよく知っているかのごとく話すときのテクニックの一部にもあるのですが、それはまた別の機会にでも。

他の影響ってないの?

さて、ちょっと話を戻すと、自分の判断に対する影響、というのは直前の環境のようなものだけではなく、自分の生活する社会環境にも影響を受けている、という議論も出てきました。ちょうどこの数日初めて知った言葉である#脱コルというのも、(敢えて、主に、と枕におくけど)女性とはみため(以下略)、的な社会的なコンセンサス、という影響から離れようとする主張と行動と理解するわけですが、これはそういう社会環境からの服装の選択や髪型、化粧するなどなどの行動判断に対する暗黙の影響という前提がある、から、それってジェンダーフリーな今、どうなの?という問題提起、というか、それ嫌なんですけど、という主張と行動ってことですよね。

で、ちょうどそういう話を耳にして反応できたのでここの説明がしやすいものの、本の中で取り上げていたのは、本の著者が米国で研究などをしている都合もあり、米国内の労働者層と富裕層の家庭での対比でして、例えば選ぶ車は、といえば富裕層ならば「他人と異なる車」を選ぶのに対して、労働者層だと「みんなが乗っている車」だから安心、という暗黙の了解。同様に、人生の選択についても「人と違うことをしたい!」という富裕層の子供たちに対して、「みんなと一緒の格好をして、同じようなことをすることで一体感を求めたい」という労働者層の子供達(かなり乱暴なまとめ方、ごめんなさい)。

でも、これって私自身の子供の頃とかに感じたことにすごく近くて、自分の家が裕福だとは絶対に言えないけど、どう頑張っても、労働者階級の住む地域、と言ってもいい、都内少年犯罪検挙数ナンバーワン(最近、隣のエリアに負けてるらしい。どうした?(笑))のエリアで、同じ格好の制服を着た1,500人の中学生が朝、校門にずらずらと並んで投稿して、全校朝礼で並んだのを前から見て異様に感じたので、ああ、集団行動できないし、そういうグループにも属せない、と思って過ごした日々だったなぁ、なんて(あ、でも服装違反とかしたことないですよ)きっとこれは人嫌いの母の影響だけど、考えてみれば自宅で乗っていた車は「いつかはクラウン」なMk-IIだったのは社会で働いて外の世界を見ていた父親の選択だったなぁ。。。

とすると、それなりに集団心理ってのは働きやすい素地、というのは意図する、意図しないに関わらず、自らが属するグループという社会性というもののおかげで生みつけられているのかもしれません。実際、本で取り上げられていた中で一番滑稽なアンケート結果は、米国の二大政党のそれぞれの支持者に対して、自分の属さない政党の提案しそうな政策についてヒアリングをしたら当然に反対したものの、それに対して、自分の属する政党の上院議員などが支持している、と言った途端賛成に回る人が、党を問わずかなり多かった、というものです。日本の野党が与党に闇雲に、論理も倫理も正統性もなく反対することが自分の属することへの証、というのとあまり変わりがないようなのです。

ということで、これを読んでしまって、うーん、自分の判断って自分が思うほど。。。と自暴自棄になることは全くなく、ああ、人の判断なんて、と思った方が良いし、なんなら自分の上司に対していろいろな手で判断を誘導できるんじゃない?出来なかったら確率論的に低い方の人と出会ったんだ、ラッキー、なんて思った方が人生楽かな、というオチをまず示して次の本に行きたいと思います。

頭が良くても、むしろ良い方が、陰謀説を信じやすい

さて、次に読んだ本というのが、賢い人ほど騙される――心と脳に仕掛けられた「落とし穴」のすべてという本。タイトルもそうですが、内容的にもみんなが大好きな「陰謀論」に人は引き付けられて、囚われてしまうのか、しかも、思慮分別のあるとされる賢い人ほど、というか、それ相応の知識レベルのある人ですらそういう「思慮遠謀」的な話にとっぷり浸かっていることの背景を探る、という話。なので、まず言わねばならないのが、「J.F.ケネディの暗殺に対する、FBIの陰謀説」とか、これを書いている最中によくアメリカあたりで参照される「ワクチンは大手製薬企業の収益のための陰謀」(なので、インフルエンザを始め、麻疹のワクチンすら接種を拒み、下手したら州で禁止して、摂取したことのある人を拒絶する法案すら通している)とか、または秘密結社があって(以下省略)ということの検証をして、陰謀説自体の正当性を評価するものではなく(とはいえ、その背景となるストーリーの出どころについては検証し、また、そのストーリーを政党の主張として利用したナチス・ドイツの行動等について言及しているのは、まぁ、反ナチスが一般的な社会から出てきたものとしては妥当な研究アプローチだとは思いますがその評価は、多様性を標榜する日本における皆さんの解釈に任せます)、その陰謀説に対する人々の反応であったり、その後の調査によってわかった事とそれまでの人々の説明との対比について検証する、という、いわば「陰謀説」を取り巻く人々の行動を評価する、すなわち、なぜ人は見えなさそうで見えそうな手のなす行為として「陰謀説」を信じるのか、というところに重きを置いています。

ざくっとまとめると、因果関係という何かの言い訳が欲しい私たち

ずいぶん前に、自分が数学に志していた、なんて若気の至りの話を書いたことがありましたが、その頃数学が私を魅了していた大きな理由は、世の中は数学で出来る限りシンプルで単純な答えを与えてくれるもの、だったからです。私の高校の数学の先生も言っていました。

「数学はシンプルで美しい。解けば解くほどに解は短くなる」

ということは、世の中にはシンプルな法則性が紛れていて、それに従って世の中は動いているんじゃないか、と信じてしまうのです。それこそ、深夜特急でマカオに行ったときのエピソードのように、大小の音の出る出ないでサイコロの目が決まってくる、のように信じてかけ続けるように。確かに、当時は深夜特急を読んで、友人と香港の九龍空港で待ち合わせして、尖沙咀の重慶大厦の安宿に泊まる、なんてしましたが、結局大小をしにマカオに行くことはなかったのですが。。。

でも、色々と世の中を見ていくと、世の中が案外単純な法則の組合わせだけじゃなく、一時期もてはやされていた複雑系であったり、さらにはただの偶然の一致でしかないことを体験すると、世の中そんなに簡単な方式で表現できない、って体感してしまい、数学の世界に生きられなくなってしまった、訳です。

でも、やっぱり、人間にとって、法則性って目の前で起こることの理由、として納得しやすいもののようです。逆にいえば、起きている出来事に因果関係の法則性があって欲しい、という世の中を見るために必要なツールが脳味噌に備わっているようでもあります。まぁ、そうですよね。春に暖かくなり、夏に暑くなり、秋に過ごしやすくなる、だから春に種まきして、夏に水をたっぷりやると秋に収穫できる、というサイクルが太古の昔からあるからこそ生活する体験が生きてくる訳ですから、それがそのほかの事象に当てはまらない、訳が無い、と思い込むのです。むしろその規則性や、そこから派生した「この人はこういうことをするからこういうタイプの人」のようなプロファイリングが多かれ少なかれするからこそ、人は一から全部学び直さないで効率よく生きていける、とすら言われているのです。

また、法則性がなかったとしても見えざる手より、見せそうな手の方に説得力が透けて見える方が、ナチスがユダヤ人を敵として想定して様々な国内のトラブルの背後にいる、と説明する方が人たちを扇動しやすい、のもちょっと想像するとわかりやすい話なのです。

しかも厄介なのが、その法則性などを見つける、というのが頭の良い人の仕事だったりするものだから、言い訳をうまく作り出してしまう。

そうやって、JKケネディ暗殺直前に傘を持って踊っていた「アンブレラマン」が仕込み傘でJFKを打った、とか、傘を持って踊るのが暗殺の絶好のタイミングを示すサインだ、とか、色々な解釈をつけてしまうのですが、当の本人は単純に、傘の宣伝だから踊っていた、という全く関係のない理由だった、と語ったのですから、記録として残った画像の中の情報と事件との相関性というのがさほどの有意性がなかったという事実に対して、後付けの解釈というやつがどれだけまことしやかに雄弁にものを語ったか、という面倒なことを示しているのです。それでも、人は何かと何かの因果関係を求めたがる、のです。

事実、今、国内で静かに囁かれている陰謀説は、犯罪する可能性のあるデータベースが、警視庁から民間のセキュリティ会社に流れているから、過去に警察で取られた写真などが軽犯罪含めて犯罪を起こす可能性がある人として民間のセキュリティデータベースに蓄積され、例えばコンビニでも大型家電量販店に置かれた高度化された防犯カメラに一瞬でもそのデータベースに該当する人がいたら、そんな要注意人物が店内のここにいる、ということで店内に流れる曲がかわり、かつその人を囲むように音量が調節され、休憩中の人も店舗に出てきてその音のエリアを囲むように動かねばならないよう、セキュリティ会社の裏マニュアルで指示されているが、その事実は人に言ってはいけない、みたいな、顔識別防犯カメラとデータベースの構築を売り出すセキュリティ会社のプライバシー以上の侵害の話がちょくちょく聞こえてきます。

でも、音が追いかけてくる、特定の音楽がいきなりかかる、とか、その人の主観的なところなのでなんとも判断できないのですが、当の本人たちからすればそう感じる以上、そういう官民による危険人物データベースに自分が乗ってしまって不幸で不自由な生活を送って、でも誰に言っても立証できない、とネットの片隅で大騒ぎするか、精神科のカウンセラーと話してすっきりするものの、世の中が自分を見張っているという「ストーリー」から逃れることがない、のです。

ちと厄介ですよね。人の心の根っこに種を埋めて芽が生えてしまうと、そればかりが気になる、というのは、あなたが赤い車が欲しい、と思った瞬間から、街ですれ違う車の赤い確率が上がったかのようにたくさんの赤い車に注目が行ってしまう、バイアスが掛かるのの厄介な事例なのです。

そして一番厄介な奴が、そういうものがない、という証明の難しさ、なのです。しかも相手は、「被害者」は何かあれば簡単に何かに結びつける「言い訳の天才」なのですから。。。

で、2016年の奇妙な二つの大きな選挙結果の裏話が読めるなんて。。。

さて、そんな二つの人間の心理とか行動の背景への影響の話を読んだ後で、マインドハッキング―あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア―を読んでみましょう。

経済的合理性にどうしたって欠ける、と世界中が思っていたBrexitにイギリス国民がYesに 50%をわずかに超える程度に投票をし、その後に、過去に破産歴がある不動産投資の成り上がりで人生リアリティTVのようなドナルド・トランプが米国大統領になる、なんて、2016年がおかしいのか、これらの国のナショナリズムと呼ばれる国民感情に火がつくほどの問題だったのか、とその年の年末に頭を抱えた年だったと記憶していました。実際には、どちらの日にも知人達と結果の推移を見ながら、あーあ、と言いつつ推移をネタにしてたはずなのに、気にせず深酒になった、というところなのですが。。。

でも、この、言ってしまえば暴露本が語るものは、米英の国民のナショナリズムというのに火がついたのはfacebookを利用して、意図的かつ高度に仕組まれたものだった、という説明だとしたら、どうしたって腑に落ちまくるのです。

曰く、元々、サブサハラ(なので地中海沿いのアフリカ諸国より南の国)の政府転覆やテロ要員の教化、果ては反社会勢力となる人たちの行動に火を付ける作業をする世界的なコンサルがいて、そこが、カナダなどで政党支持者や中間層に対する投票促進のアプローチを心理学とITで行うことに興味を持った(赤毛でゲイの)若者のスキルでターゲットとなる人材発掘を高度化し、かつSNSのプライバシー保護の盲点をついて怪しい(でも、よく当たると評判の)占いソフトなどの利用促進を通じてターゲットとなる国民の多くの、より現実に近い人格などを模したプロファイルを作ることでターゲットのグルーピングと、特定グループへのより効果的なアプローチが可能となるようにし、そのターゲットが興味を絶対に引くだろうクリック広告をSNSで出稿することでターゲットのクリックさせる興味を引いて先導的な動画などの情報を視聴させ、何かものの購入させる代わりに政府への問題意識などに火をつけて反政府行動を行動を起こさせていたのです(ふぅ、一気に言い切った)。そして、その集大成が米英の2016年の選挙の際のナショナリズム(と言っても、特に米国については人種の多様化により、それまで建国以来200年以上にわたって白人男性対してに与えられてきた特権的地位が日に日に失われる、ということへの反発心をあらゆる自尊心のと特権の剥奪の阻止という自分の中の大義名分)への傾倒を強化したのだった、という話な訳です。

とすると、まぁ、それまでの2冊の本の内容がこんなたまたま気になった新刊本の暴露本と共鳴するんですよ。実際、ある一定のセグメントをまず性格などのプロファイリングでの構築を行い、そのセグメントに対して効果的に印象に残るような広告出稿のメカニズム作ってターゲットの精神的・政治心理的刺激を行い、また、自らの意図する政敵やスポンサー候補などにみさせるように感情的に揺らした後での自らの判断で党への参加という安心感の提供を行っていた、というのです。

また当然に、特権階級の剥奪というのはデメリットでしかないから阻止したいもの、という位置付けで、それまで社会生活で抑圧されたと感じた一定層(本の中では白人男性で非受動的童貞、要は白人だからと言って昔は文字通り「やりたい放題」だったが、今は自らが望んでも全く出来ない、という特権を剥奪された男性)に対するその自尊心を刺激するような、でも日本のような性的アピールを支援する商品を売る広告ではなく、そういう人たちの声を挙げて復権を目指すような組織への参加を促す(精神的にインパクトが大きく残って政治的活動に誘導するような)広告を、そういう人たちにピンポイントで送れるように元々SNSなどではできていますから、あとはセキュリティとプライバシー保護の裏をついて作った個人の詳細なプロファイルデータを使ってあなたのデジタル・ツインを元により精緻な性格判断やセグメントを設定、とあれば、あなたの判断は直前の情報の結果によるあなたの感情に大きく影響される、という最初の本のルールがインパクトのある広告というツールでものすごく真っ直ぐに使われて、その妥当性すら証明していることになります。

また、あなたたちが抑圧されているのは、というストーリーを毎日(私たちが直近アクセスして購入を躊躇ったウェブサイトの広告を見るのと同じように)広告の形で目に触れるだけでも反対行動を喚起するに十分だったと評価できそうですね。

としたら、著者が書いたように、2016年の政治的結果というのがロシアによる陰謀説ではなくそういう工作部隊への資金供給の形での間接介入による操作された結果、と思うと腑に落ちたとしても疑問のないところのように思うのです。

とはいえ、GAFAM抜きの生活ってできると思います?

この暴露本の著者も認めているのですが、facebook一つとっても、そのアカウントが凍結、利用禁止になった瞬間、その他のSSO (シングル・サイン・オン:SNSなど信頼できるプロバイダーの登録IDへのログインを信用して自社のサービスを使えるようにする方法)。これを使えなくなるとIDパスワード増やす、という個人情報管理の面倒な流れに入るものの、反対にSSOを使えやすい環境だと上述のようにSNSにある個人情報が流出しやすい環境が出来上がってしまうので、悩ましいのです。でも、GizmodoでGAFAM使うのをやめたら生活できない、という実験的な記事(さよならGAFAMシリーズで、Google編Apple編Facebook編Amazom編Microsoft編まとめて全部)があるので、この本で著者がFacebook使えなくなった、というのがどれだけリアルにきついかが見えてくるからこれもお勧めです。

とはいえ、人生で大事なのは日常のコストを下げることか、プライバシーを維持することか

もし、素の生活をして、精神的圧迫を無意識のうちに広告の形のプロパガンダで行われることで、あなたの判断力が自分の潜在的にある社会的反動に対して行動的な形に誘導される、としたら、どう思うでしょう。でも、それが、2016年の米英で起きた、とされて、またカリブ海の小さな島でテスト、という名前で島の政治が本来の形と異なる形になったり、アフリカのどこかの政治転覆の形で実施された、という実績がある、としたら。

それがスポンサーによる資金投入という見えざるがそこにある手で行われたのか、それとも本当に国民意識が傾いた、のか、なんて陰謀説での後付けの説明程度にしか聞こえてこないのかもしれません。

でも、それはそれとしたとして、自らをもし守りたい、とするならば、どうしたらいいのでしょう。

実際に出来ることは、自動車事故に遭いたくないから車に乗らない、車の走っているところを歩かない、の如く、SNSに近寄らない、かもしれませんが、もう既にアカウントがあるならばそれだけであなたのそこまでのプライバシーは流出している、とおもた方がいいかもしません。でも、今とか長く続く将来の自分のプライバシーを守れるかもしれません。でも、SNSに近づかない生活は、GAFAM断ちの記事の通り極めて不可能なのだと思います。となればアカウントを消すか、あっても利用しないか、ある程度自分のプライバシーの管理をしながら利用すると割り切るか、でしかないのかもしれません。個人の好む好まざるに関わらず、社会情報インフラの大きな一部になってしまっているのも事実ですから。

なので、#みやたべろぐをおやすみする、のはそういうSNSでのコミュニケーショントラブルの傷を癒してから、と思っているのも正直ですし、自らを晒すプライバシーのコントロールをどうするのかも今後は考えたい、と思っての準備期間とも思ってるのです。と言いつつ書き続けているわけですが。。。

とはいえ、実はこれが壮大な陰謀説によって、そうSNSから人を離脱させたいと思う勢力の思う壺、なのかもしれませんが、きっといつまでも答え合わせはできないんでしょうね。

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