個人が長期投資をする時、投資先のコーポレート・ガバナンスは意味をなすのか?

このところ、NISAとか iDeCoとか個人の長期での資産形成のためのツールの説明を書いてみたのですが、実のところ、いくら投資の器が整ったところで、投資先がどうしようもない紙くずのようなその投資価値を感じさせないものだったら誰も投資しない、というのは株に限らず、それが仮想通貨であれ、不動産であれ、太陽光発電であれ、誰もが当然に思うところだと思います。では、その投資価値を感じるもの、と言ったときに、何を投資価値、と感じるのでしょう。

国や証券取引所、金融商品関連業界などは、この数年に渡って株式投資の環境整備の一環として、上場株式を発行する企業に対して「コーポレート・ガバナンス・コード」を、投資するアセット・オーナーやそのサポートをする投資運用業者に対して「スチュワードシップ・コード」を導入し、それぞれにその遵守か遵守しない場合の相当の理由を求める、という法律ほどの拘束力を持たないものの、一定水準での行動規範の自主的な履行を求めるという手法を導入しているのは業界関係者ならばご存知のお話で、人によっては苦労されていることもあろうかと思います。

でも、これは個人レベルでみてあまり影響がないだろう話とか、とか気にしない、とか、そもそも認知されていない、など色々と意見があるように思うので、今回「コーポレート・ガバナンス」を、次の記事で「スチュワードシップ・コード」を、そして、その後でそれを踏まえての「ESG」とか 「SDGs」と言った世界的なアセット・オーナーの投資規範を理解して、じゃあ、個人は何を投資に考えればいいのか、というアイデアになれば、という話をして行こうかと思っています。

でも、コーポレート・ガバナンスの前に – 会社って誰のもの?

この質問をすると、色々な回答が出てきそうです。でも、最初に出る答えはこれですよね。教科書的にも。

株主

もちろん。でも、株主以外にも会社を我が物にする人とか、いますよね。でも、それぞれがそれぞれに理由があってそう思う訳で、それのおかげで、実は日本のコーポレート・ガバナンスは海外と違う、のような論調を正論のごとく唱える御仁もいらっしゃったりするので、この辺りを整理するべく、会社とその関係者がどんな形で関わりを変えていくのか、いくつかの例をみていきます。

会社を作った瞬間 – 会社は作った人のもの

日本だと一般的には会社法に基づいて株式会社を作るのですが、その時のほとんどはその事業をやりたい人が発起人として会社を作るので、その株式も取締役の地位もその事業をやりたい人が持つことになります。他方で、その時は従業員は。。。いません。取締役が一生懸命働いて事業を形にしようと思います。だって従業員はいれば助かるかもしれませんが、株式出資で得た資金を元手に事業を行って稼いでいくのに人件費はコストに過ぎないのですから。

とすると、例えるならば、出来立ての会社においては、会社の関係者は、株主兼取締役(シャチョー)である「あなた」と、ビジネスをくれる(であろう)お客さん、あとはオフィスを貸してくれる大家さんをはじめとする会社を維持するのに資材を提供する業者のみなさんとの関係だけ、です。まぁ、今時ならば、オフィスをどこかに構えずに、登記上の所在地と郵便はサービスオフィスに、電話での連絡先は携帯に、仕事はどこかのカフェで、会議は先方の会議室かホテルのラウンジで、倉庫はAmazonに、みたいに軽くする会社もあり得ますが、そんな自由度も含めて、この時においては、会社をどう運営して、稼いで、会社の価値と株式の資産評価(この時点では会社の純資産)を増やしていくのに、事実上一人だから「あなた」の思いだけでやっても良さそうですよね。まぁ、お客さんに愛想をつかれないようにするとか、業者さん達(と、もっとこわーい、国税局)に支払いを滞らせると会社が立ち行かなくなるので、そこは最低限の自己責任ではありますが。。。

事業が順調に進むと従業員を雇ってもっと稼ぎたくなる

さて、労働基準法が守ってくれない事業主である「あなたが」寝ずに(!)働いた結果(笑)、会社の事業が順調に進むと、「あなた」一人(か、仲間の「取締役」数人だけ)では事業が回らなくなってしまいます。そうなると猫のを借りるよりも誰かを従業員として雇って事業の一部を任せたくなります。

この瞬間、株主兼取締役の「あなた」と、お客さんと業者さんの関係に、「従業員」という新しい関係者が増えることになります。しかも、この人たちは会社との間の「雇用契約」に基づいて働く人たちである一方、労働基準法などの法律で権利が守られているのと同時に、雇用するにあたって労働基準監督局に届出したり、この人たちの生活を守るべく健康保険や厚生年金に入るために年金事務所に届け出て、保険料の一部を負担し、そして、会社の債務では一番優先されるお給料を支払ってあげる対象にもなるのです。その代わり、忙しくなったあなたの仕事の一部を専任でやってくれるのですから、あなたにはその分時間が出来、会社を大きくするプランを立てたり、新しいことをする交渉を行ったりすることが出来るようになるのです。

その時、あなたの都合で従業員をこき使えばその分利益も上がりそうなものですが、外ではブラック企業と噂されて取引に影響が出たり、労働基準監督局から査察が入って改善命令が下されるので、雇用関係の法令遵守がいきなり求められる状態になってしまうのです。

それはさておき、そんな事業主のために一生懸命働いてくれる従業員の皆さんのおかげで会社は回り、大きくなっていきます。そうなっていくと、従業員の皆さんにも会社に愛着心/愛社精神が育まれ、また、会社は自分たちが動かしているんだ、という自負心も生まれて来ます。他方で、雇い主のあなたはそんな社員たちにはお願いしたことをお願いしたように(言い換えれば、余計なことや内引き、不正など事業計画の予定以外のことをしないように)して、そして長く心地よく働いてもらうように(トレーニングから自己啓発、福利厚生の充実やオフィスの環境やオフィスで飲み食いできるパントリー、果てはGoogle や某投資銀行のようにジムやリラクゼーション設備の充実まで)する管理の仕事もすることになるのです。

事業がさらに順調に進むと、資本を増やしてもっと稼げる体制を作りたくなる

さらに事業が順調に進み、気づくと従業員は増えて、事務所や店舗などを広げたりしないと回らなくなるステージになってきました。事業は順調ですから会社の銀行口座にはそれなりのキャッシュも積み上がってきていますが、事務所の広さを二倍にしたい!別のところに店舗を出店したいとか、物を作るための機械を手元に導入したい、など手元の資金では足りないところまで来ました。

そんな時に資本を増やすには大きく分ければ二つの手法を取ることになります。一つは銀行のような金融機関からお金を借りること、もう一つはこの事業に投資してもいいよ、という投資家に対して会社の株式を発行してその代わりの資本を受け入れることです。

金融機関からお金を借りる – いつか返さないといけないから。。。

金融機関からお金を借りると、当然利息は払わねばなりませんし、いつかは元本を返すことになります(と言いつつリファイナンスなんていって再度同額以上借りることで借金を事実上先送りにするケースも多く見られますが。。。)。とすれば、貸している金融機関からすれば必ず利息を支払ってほしいですし、そもそもローンの支払いは給与債務の次に優先されるべきもの(というか、ローン契約で約束通りに利息が支払われなければ期限の利益を喪失して元利金の全額を一括返済せねばならなくなるので、何をどうあがいたところで、事実上ローンの支払いがその他の費用等の支払い、もちろん株主への配当金よりも、優先されてしまうのです。。。おおこわっ)ですから、金利を払ってくれる限りにおいてはいいお客さんである一方、支払いに懸念が生じたら、債権者の立場として会社の資金回りや、よくドラマで見るように、銀行から(ある意味本流から外れたような人を)経理部の担当と称して派遣して資金繰りをモニターし始めたり、しまいには経営自体に指南というか口出しをして来ます。それは全ては貸し付けたローンを回収できなければ文字通り「元も子もない」という危機感から行なっているのですが、なんとなーく、会社が債権者のもの、に見えてしまう瞬間でもありますよね。なので、借金は会社経営やオーナーからは悪、と思われる理由でもあるのですが。。。

投資家からの資本を受ける – 返さなくていいお金、だけどその意味は。。。

さて、広い意味での投資家が企業に資本を提供する = その企業の株式を購入する、のはどういうことでしょう。まだこの会社が上場しているわけではないので、いつでも買うことも売るも出来ません。通常はむしろ、未上場株式についてはその譲渡について取締役会などでの承認が必要です。なので、買いたい、売りたい、と思ったところで承認が為されなければ出来ませんし、仮に承認されたとしてもじゃあ、いくらで売買できるか、というと、売り買いが起きているわけではないので、市場による売買価格の構成、というものに期待することは出来ず、複数ある企業価値の計算方法のうち適正と思われるものを妥当性を検証しながら選んでいく一方で、オークションや戦略的理由での株式取得のような、そんな緻密な公正価値なんて無視した売買価格の構成が行われる、という世界のシロモノですから、どんな理由で企業の株式を取得するのでしょう。

一つは、それでも純粋に安く買って高く売る、という経済的理由で投資する場合。ま、勝ち馬に乗る戦略、いっちょ噛み、って奴ですね。とはいえ、流動性のないところでの投資ですので、どうしても高い収益性を求める投資になります。となった時に、会社の立場で単純に保有するだけの投資家を入れておく理由というのはあるのか、という疑問が起こります。もしあるとすれば後述のような企業からの投資のような色のつくものではなく、中立的に保有してもらうことにメリットを感じつつ、株主総会での提案事項にはよほどのことがない限りは黙って(笑)賛成票を投じてくれる、という期待、でしょうか。

次に考えられるのは、安く買って高く売る、というその企業の将来性に期待して投資をする一方、その将来性を支えるべく経営戦略の立案支援から、取引先や提携先の紹介のような事業展開に関する支援、時としては思い入れのある事業の収益性が見込めないことで類似ではあれ異なる事業に転換する助言などすらをすることでその企業の成長に積極的に参加していくようなベンチャーキャピタリスト、のような投資です。ベンチャーキャピタルファンドによる投資で面白いのが、後述のプライベートエクイティ投資のように会社の株式の過半数以上を取得して会社の経営権を握り、取締役を派遣して自分たちの思う経営を行っていくことで会社の価値を上昇させるのではなく、5-10%程度の出資比率で、複数のベンチャーキャピタルファンドからの出資を受けつつ、それぞれのベンチャーキャピタリストたちの経営支援や協業提案などを受けて成長させていく、んですよね。

最近では、そんな投資を行うベンチャーキャピタルファンド(VC)だけでなく、企業が有望なスタートアップに対して出資を行っていくコーポレーベンチャーキャピタル (CVC)も増えてきています。こちらはVCのようなリターン追求より出資する母体企業との将来的な協業に対する期待の方がより大きい、と言えるでしょう。とは言え、Google や Amazon のように、そういう将来性のある企業への投資を最初は少額でやりながらモニターして、徐々に増やして子会社化して自社事業の一部に取り込む、のか、自社事業の脅威になるのでその芽をつむべく買収する、ということだって起こり得る、のです。

子会社化、のような過半数の株式取得の話が出たので、非上場企業への投資といえばプライベートエクイティファンド、ということで、この手のファンド、より正確な表現を取るならばバイアウトファンド、の話もする方が良さそうですね。バイアウトファンドは、前述のベンチャーキャピタルファンドが比較的少額での投資をしつつ経営陣に対して経営や事業連携のアドバイスをしていくのですが、バイアウトファンドは株式の過半数以上を取得して経営陣の入れ替えなどを行うことで事業の建て直しや経営の加速化などを目指していきます。この場合、旧株主や旧経営陣が出来ないことをファンドが代わりに行っていく、というスタンスが前提にありますので、そこを有効活用したいというニーズがあると実現する、というか、そこがないと実現出来ないですし、企業のステージとしてもベンチャーキャピタルのような会社が出来あがって成長段階、というよりある程度自分たちで成熟させた、という段階のケースが比較的多いのも特徴です。

続いて、これらのファンドからの出資という性質のものではなく、取引先や提携先、それらの候補からのより即時的な事業連携を目指した出資があります。無論、資本を出さなくとも取引も提携も行うことは可能でしょうけれども、資本提携があればより堅いお付き合い、というか出資先の取引先等の選別に関与してより多くの取引を取り込むことができる、という期待があります、よね。で、これを普通に事業提携に使えばいいのですが、実際には、出資して取引を増やし、結果的に出資以上の取引額が取れれば十分どころではない出資効果がある、という食い物にすることを狙っての出資をするケースもあるので、資本提携ってのは相手を選ばないとえらい目にあいかねない、ということでもあります。

そうやって、色々な人たちの思惑と、株主で取締役で立ち上げた自分の目指したいところとを擦り合わせて出資先を選んでいくことになるのです。ええ、前述の通り、未上場企業は取締役会や株主総会で株式の譲渡承認をしないと株式を譲渡出来ませんから、上場企業のように知らない間に知らない株主がいた、なんてことはないですし、譲渡承認をする手続きを踏むことで、自分たちにとってメリットのあると思われるところへの出資を選ぶ機会を持つことが出来るのです。言い換えると、上場しない限りは投資家が企業を選ぶのと同様に、企業も株主を選ぶことが出来るのです。

また、この頃であれば、時々見られるような、上場間近ですから、と個人の投資家をわんさか集めているような(正直そのまま計画倒産か永遠に上場出来そうで出来ない状態を維持し続けるような)紙一重な企業を除けば、経営サイドもそれぞれの株主との対話も比較的頻繁に行えて財務状況の報告はもとより、情報交換や事業運営の相談なども出来る状態にある、と言えます。

ICOだって資金調達でしょ?

そう言えば ICOで資金調達、なんてのもありましたね。メカニズム等はリンク先の記事を参照いただきますがざっくり言えば、商品を売っているに過ぎないので、株式譲渡のように企業へ関与する権利を得るわけでもなければ、債権のように収益に対して優先して返済を求めに行けるわけでもないので、発行した側からすればものすごく都合のいい資金調達方法で、買った側からしたらICOで手に入れたトークンが値上がりしない限りはなんのメリットも存在しない仕組み、と個人的には思っています。まぁ、株式の発行体の株主に対する至上命題である株式の価値の上昇と同様に、ものの製造者による責任としてトークンを必ず値上がりさせる、というのはないですが、Quoine のようにトークンをはじめとした仮想通貨の流通のためのインフラを維持する、という行為を取る以外は責任の取りようもないように思えていますが、これだって暗号はいつかは破られることを考えれば金が人類の歴史のある期間においてその物理的性質が安定して、かつ半減期もないため自然と量が減ることもないことに比べて不安定なものと考えるとどうなのでしょうね。

そして企業が株式公開を目指す… 本当に必要あるの?

閑話休題。さて、こうやって事業に色々な理由や思惑などで株式という形や債権という形で関与する人が増えてきました。それなりに収益を安定して叩き出して分配金が払えていればこんな形でいいんじゃない?とも思えるのですが、どうも満足できない人が多いようで、多くのこういった企業は株式公開、上場を目指すことになるのです。何故なんでしょう。

一番大きい、というよりまさにこれが大きな理由であるのは、当然、投資の回収を図りたいから、なのですが、未上場の状態であっても、相対で買う人がいれば売れそうなものです。でも、未上場である以上この会社を知り、その企業の価値の評価をするための情報もほぼ限られている状態で買いたいと思う人がそもそもどれだけいて、その中の誰かにたどり着いて売却できるか、というとなかなか難しいのです。また、未上場の状態では会社(とその取締役会など)が、仮に売りたい人と買いたい人とのマッチングが出来たとしてもその新しい株主になる人が好ましいと思って譲渡の承諾をしないことで譲渡が成立しない場合もあり得るのです。とすると、上場することで市場参加者による売買の申し込みが増えることで市場によるこの会社の企業価値のコンセンサスという株価での取引が、しかも上場した場合には会社サイドの承諾なく自由に、可能になるのです。

さて、株式を売却すると当然に売却代金を得る、わけですが、それを仮想通貨のICOのごとく資金調達に使っていた人たち、というのも古くからいるようです。そりゃそうですよね。そういう経済効果があるんですから。で、どういう人たちが使っていたか、というと、子会社を上場させて保有していた株式を市場で売却することで資金を調達する、のです。当然株式の売却だから返さなくていいのですが、これの厄介なところは上場してほとぼりの冷めた頃に(そしてこの子会社の株式の価格が上場時から下がったところで)市場から買い戻すと、借り入れより安いコストで一時期的に資金調達した効果になる、というものです。とは言え、親子上場ってそれなりに子会社を独立させる目的があったりしますし、親会社が事業再編で外の荒波に鍛えられて育った(か、救済目的で)子会社の株式を買い戻してグループ内の事業に取り戻したい、という真っ当な理由も存在するので結果としてそうなった、と言われると否定しづらい、という側面もあるのですが。。。

いずれにせよ、上記のように株式市場で売却できるようにすることは、上場までに投資して企業を支援してきた人たち、そして会社を創業し苦労して事業を育てた人たちの経済的メリット、ではあるのですが、会社の経営陣が考える理由は他にもありえます。例えば、未上場の状態では自分たちの思惑も当然あるものの、ある程度株主の顔と会社の経営陣に対する影響力が大きくなります。これが上場することで株主が個人投資家を含めて広く薄くなることで、個々の株主との対話の機会も当然減り、その影響力も相対的に小さくなっていきます。

実際のところ、(自分では長期保有すると思うものの)経営陣から見たらいつ株主をやめるかわからない複数の少額株主に対して未上場の頃のような密な関係を作れるか、と言えば当然出来るはずもなく、上場企業に課せられた四半期ごとの財務状況とビジネスの速報から年次の株主総会での総括的な報告をこなして行くことでそのような少額の株主への報告は勘弁してほしい、とすら思うことが大半でしょう。他方で、それはそうであれ、株価を上昇させてくれる株式の買い手となる将来の株主を増やしたい(そして、株価下落を期待して空売りする投資家を減らそう)と思えば、そんな人たちに会社をアピールする機会をくれるアナリストたちとの対話には時間を割かねばならない、と思いがちです。いずれにせよ、実際上場の維持コストはかなりバカにならない額と手間なのです。それを思うと、上場を維持するより事業にそのリソースを振り向けたい、といって株式を買い集めてくれる投資家たち等と組んで非上場化に戻す、という選択肢を取る企業だってそれなりにあるのはそういうことなのです。

ところで、これは後述の本編の問題に出てくることなのですが、個別の株主としての影響力が小さくなることはその小さな株主の利益や権利を無視して経営陣のやりたいようにやっていい、という意味ではなく、むしろ、個別の株主の影響が小さくなるということはその企業が特定の少数の支配権に近い株主のの公共性が高まり、その企業の経営陣による運営は不特定多数の株主の利益を守るような最大公約数を満たす行動と判断を求められる、はずなのです。そこで問題になるのが、その不特定多数の株主の利益を守るような最大公約数を満たす行為とは一体何か、なのです。

と言うことで、コーポレート・ガバナンス・コードになる、のだけど

コーポレート・ガバナンス・コードって結局のところ、色々な利害関係者が集まる上場企業において、一番コントロールの効かない株主の利益を守るために、一番コントロールを効かせることのできる経営陣が守るべき最大公約数の利益のための行為、ってことだと言うのが見えてきました。じゃあ、その最大公約数って一体なんでしょう。多分いくつかあって、人によって表現の仕方も異なると思うのですが、もしファンドのガバナンスを提供するって商売をやってきた著者ならどう表現するか、でまず解説して、それをいわゆるコーポレート・ガバナンス・コードに落とし込むとどうなるのか、やってみましょう。

でも、ファンドのガバナンス、って普通ピンと来ないと思います。ファンドっていわば投資事業ですので、売って買って投資家を儲けさせればなんでもあり、あとは適当に当局届出をやっておけばいい(んだからフィーは安かろうかそもそもいらない)くらいに思われていそうなのですが、ファンドは投資戦略と投資制限の中で投資を行い、その制限や戦略の通りに投資行動が行われていることを監視、確認し、適法に届出を行ってファンド自身の維持を行い、また関係者へのフィーを適宜支払うことで関係者からのサービス提供を継続的に受け、また(会計監査に限らず)そのサービス内容の確認を行って適切に運営されていることを担保する、と言うことをやっています。ごく当たり前に思われそうですが、でも、この当たり前が出来ないと、関係者の誰かに大事な投資元本を持ち逃げされたり、投資のリターンが当初の戦略で予想されるものと異なる、そして説明のつかないものになったり、と、投資に対する信頼が揺らぐ結果になるので困りますよね。じゃあ、これをより大きな規模で事業を行う企業に当てはめるとどうなる、と言うのでしょう。

余計なことをしない、させない – 本業に特化すること

自分だけが株主で自分の手で事業を行うならば、より儲かるから、とか、自己実現のためとか、今日が水曜だから、色々な理由をつけて今日までやってきた事業をいきなり辞めて違うことを始めることは可能でしょう。でも、それ以外の株主があなたの企業の株式を買う理由はその企業の行う事業(か、その収益性か、将来性か)に惚れ込んだから、なのですから、「本業」を辞めずとも「事業の多角化」と言う名目で他の事業を始めるのはその企業の持つ事業リスクの性質が変わるため嫌がられます。

ま、確かに多角化したらそれぞれの事業との間にシナジーがあって、とか、事業のリスクを補完しあう、などの言い訳は出来そうですが、単純にパッケージを見て美味しそうなポテトチップスを買ったのに中身を見たら激辛の唐辛子せんべいだったら怒る私たちです。会社の事業内容をみて株式を買ったら別のことをやっていてにっこり笑える人がどれだけいるでしょう。

さて、このタイトルは上記のような単純な事業替えや不意の多角化だけに止まりません。企業が収益を上げるためのプロセスを「持続可能な形で」構築して、「運営」し(必要に応じて適切な改善を行い)、そのプロセスが適切に運営していることが「確認できる」(今時であれば「見える化」する、って言うんですかね)ようにすることが、その事業に投資する株主にとって「ただ何かしらのおかげで稼げている」よりも投資しやすくする、のです。で、ここにはいくつかキーワードが存在しまして。。。

例えば「持続可能」と言うのは、(従業員でも、取引先でも)誰かが一瞬でも、もしくはその一瞬を無理やり継続して、不合理な無理を強いることのない、と言う意図があります。従業員の長時間残業が前提であったり、仕入れ価格の(不適切な形での)値引きや一時的な価格下落を長期的な前提としたコスト設定とすることで関係者の不合理なコスト値下げ圧力をかける、とか、販売サイドでの一時的な押し込みで数字を無理やり作る、などなど。ある程度の生産性の向上のためのプロセス改善に向けた努力としての無理は必要でしょうけど、誰かさんの健康や精神衛生を犠牲にして収益を上げることと言うのは持続可能なプロセス、と言わないのはわかりますよね。でも、収益を上げないといけないから、ってことでここのギリギリの努力としわ寄せの紙一重、わかりづらいですよね。

プロセスの「運営」、って口で言えば簡単です。やって結果を出せばいいんです。でも、料理に例えるとわかりやすいと思うのですが、美味しいレシピが書かれていて、それ通りにやれば(運営)美味しくなる(結果が出る)ことは知っています。多分、1回目はそれにかなり正確に従って作ると思います。でも、2回目はどうでしょう?そして10回目は?だんだん、自己流を入れたくなるか、まあいいじゃない、ちょっと量を変えたって、と思うのが大半の人だと思います。同じことを同じように繰り返すのって結構大変なことです。仕事の場合、どうでしょう。仕事の手続きって文書化されて誰がそこに座っても同じに出来るでしょうか。また、書いてあったとして、その通りにやっているでしょうか。

でも、これをレストランでやられると安定した味にならないってことを私たちは知っていますし、例えばマクドナルドのようなフランチャイズであれば「(あらかじめ均一の形になった)お肉をグリルに置く」「グリルの上のボタンを押す」「ブザーがなったらグリルの上のボタンを押してブザーを止めて肉をひっくり返す」「ブザーのボタンの高さから塩コショウを1秒かける」「もう一度ブザーがなったらお肉をグリルから引き上げてパンにのせる」といった、マニュアル(とそれに合わせた調理器具、そして具材)が(全世界で同じように)準備されているので(マクドナルドの進出したどの国でも)高校生のアルバイトであっても、20年働くパートのお姉さんでも、全く同じ味のハンバーガーが出来る、と言う仕組みが出来、実行できる、のです。こう言うサンプルを見ると、プロセスの構築と運営、改善がコスト削減にすら繋がるんだ、なんて思えてきますよね(売る時の最後の一言「ポテトも如何ですか?」を言うことでの売り上げの積み上げを努力するマニュアル化も含めて)。

そして「確認できる」、はJ-SOX法(といっても、金融商品取引法のなかで規定される上場企業の株式と言う、金融商品に対して求められている内部統制報告制度、なので独立した法律ではないんですよね。。。)に基づく内部統制、といえばそうなのですが、これって株主に報告するために構築すべきもの、ではない、ですよね。本来は誰がこれを使うべきか、といえば、事業運営を監督する経営陣、のはずなんですよね。事業が正しく運営されていれば収益が予定通り上がる、そうでない場合に内部統制的にどこかおかしいのか、と言う分析と問題点の洗い出しを行うため、いわば PDCA (Plan-Do-Check-Action) の CとAを行うためのツール、なのです。内部統制報告の際に綺麗な結果を出すのが目標、と言うよりも事業状態の把握が目的、なのですが、どうなんでしょうね。。。

あ、苦言だけいっちゃった(笑)そもそも内部統制ってなあに、をすべきでした。教科書的に言うと J-SOX法の言う内部統制は、

内部統制は、基本的に、企業等の4つの目的(①業務の有効性及び効率性、②財務報告の信頼性、③事業活動に関わる法令等の遵守、④資産の保全)の達成のために企業内のすべての者によって遂行されるプロセスであり、6つの基本的要素(①統制環境、②リスクの評価と対応、③統制活動、④情報と伝達、⑤モニタリング、⑥ITへの対応)から構成される。

財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準並び
に財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する
実施基準の設定について(意見書)

ってことで。。。あれ?「業務の有効性と効率性」と「事業活動に関わる法令等の遵守」はすでに触れた通りですよね。まぁ、「資産の保全」って「取締役が勝手に工場とか事業に大事だったり企業の資産の大半を占めるものを売っぱらわないよね」って会社法で決められてまして、そこを押さえていれば(取締役会議決などが必要なのでちゃんとその手続き等が踏まれているか開示されていれば、と言う意味ですね)、あとは「財務報告の信頼性」ですね。これも、不正な会計処理、例えば売っていないのに売り上げ計上するとか、商品をうち引きするとか、会計処理について一般に行うべきことと異なる処理をして企業の経済行為を適切に反映させていない、ようなことはしちゃダメよ、と言う基本のき、みたいな話ではあります(が、まぁ、それが出来ない、しないところも多いですよねー)。で、これらの目標を達成するために、6つの要素をしっかり備えるように、例えば、何か承認を得るならば得たなりに適切な人の権限で承認したと言う記録を残して、それを第三者にチェックしてもらえるようにし、チェックまで行いましょう、と言う統制環境を整えてその上で統制活動を行いましょう、と言う簡単な話から、ITを使って、誰がどこで何をした、と言うのを把握し、またそれが改ざんされないよう備ましょう、とか、単にチェックしただけでなく、その結果を評価し、どこにリスクがあるのか、またそのリスクにちゃんと対応しているか、と言う評価をしましょうね、そのためには情報を隠しちゃダメ、改ざんしちゃダメ、ちゃんと透明性を持ってやりましょうね、ってことなのです。

なんか、形は違えど(特に内部統制と言う点においては)普通にちゃんとやってそうですよね?でも、それが株主に対して公平に利益を提供する結果に繋がるはずなのですが、あとはそれを如何にやっているかを示せるか(言い換えれば株主と将来の株主に対して理解してもらえるか)なのだと思います。逆に、企業が大きくなるとこのような「当たり前の積み重ね」がどこかで何かしらの理由で抜け落ちるケースがあって、何かしらの歪みのおかげで表沙汰になったものだけが多分にそれが世の中で言う「不正」と言う形で企業の信頼の失墜に繋がっちゃうんでしょうね。その意味ではやってて当然、うまくやらないとペナルティを社会的、経済的、などなどで受ける減点方式の世界、に見えてしまう仕組みに取られがちなもの、でもあるのです。

で、コーポレートガバナンスコードって結局なんなの?

一応、お約束に的に定義に行きましょうか。現在のコーポレートガバナンスコード、と言うのは、日本取引所グループのウェブサイトで公開されていて、その中身のエッセンスを言うならば

コーポレートガバナンス・コードについて
本コードにおいて、「コーポレートガバナンス」とは、会社が、株主をはじめ顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえた上で、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味する。
本コードは、実効的なコーポレートガバナンスの実現に資する主要な原則を取りまとめたものであり、これらが適切に実践されることは、それぞれの会社において持続的な成長と中長期的な企業価値の向上のための自律的な対応が図られることを通じて、会社、投資家、ひいては経済全体の発展にも寄与することとなるものと考えられる。

コーポレートガバナンス・コード
~会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上のために~

と、上場企業は株主だけでなく、顧客、従業員、だけに止まらず、地域社会等までその影響力を考えて行動を求める、と言う「公共の器」であり「公共に資する」ように企業が振る舞う原則、としているのです。上場企業はその意味では非公開企業のような株主と経営陣、社員たちがその利益を最大化することを目指す、と言うのと一線をかさねばならないようです。

で、その原理って何かと言えば、タイトルだけ言うならば

【株主の権利・平等性の確保】

【株主以外のステークホルダーとの適切な協働】

【適切な情報開示と透明性の確保】

【取締役会等の責務】

【株主との対話】

が挙げられ、それらを実行するために、小難しい「社外なんちゃら」を導入せねばならない、とか四半期の報告書をどのタイミングで公平に公開せねばならない、とか、と言う話に繋がっていき、ある種の新しい仕事、例えば社外取締役や社外監査役と言うのを法律から生まれたものだから弁護士(特に今時のダイバーシティにあやかって女性弁護士で派遣することに息巻いているのが散見されたり)や会計士などが、どうせ企業も形式要件を満たすために必要だろう、で、呼ばれることを期待している、と言うなんか変な話になっている、と言うかされている、のです。

Comply or explain – 適用しないと説明求めちゃうぞ、の落とし穴

で、前述に思いっきり某地方をディスるコメントを書いていますが、これ、日本ならではの行動パターンと思考パターンからくるものなんですよね。実は、コーポレートガバナンスコードって「コード」と言うことで法律でも証券取引所の求める必須要件でも、ない自主的な原則の会社への導入、なのです。その意味では実は適用は義務ではない、のです。でも、不思議なもので、義務じゃないと言いつつも、原則の導入を上から求められると、入れないといけないのか、と感じてしまうので、どうやったら最低限の必要条件を満たすのだろう、と言う余計なことを出来るだけしないでやった感だけ見せよう、という行動が結構散見されているそうです。

しかも、コードでは、Comply or explain – 原則の導入か、導入しないならばしない理由を説明することを求めているのです。もし労力をかけたくないならば、最低限の適用をしておしまい、としたくなるのです。誰も、導入しません、なぜならば。。。と言う説明をしたくないのです。

なので、頭数を並べます、書類も整えます、なのです。代わりの機能が導入されているからいいんです、適用しない説明をするより適用することで話をしないで済む分いいんです。

って、のが多いんです。でも、それ、本当に適用しているの?と言うケースがあったりするんです。適用した、と思い込んでいるケース。どことは言いません。でも、適用しているって主張して実は適用していなくても罰せられたりペナルティを受けることもまずないんです。だって、コード、だから。

となるので、コーポレートガバナンスを重要視する人たちの間では、「Comply and explain」にすべきだ、と言う声が出ています。どう言う発想と目的で complyする体制を作ったか、説明せよ、と。実際にその方が、その意図に基づいてガバナンスが機能しているかも評価できるのです。言い換えれば、コーポレートガバナンスコードって内部統制機能を導入する最低限の条件みたいなものであり、その条件の元でどう運営するか、結果を最大化するか、のはずなのですが。。。

と考えると、個人投資家としてコーポレートガバナンスコードってどうすればいいの?

多分、個人で投資するときに、コーポレートガバナンスコードの効果を考える必要はあまりないのかもしれません。基本どこも有り体に導入しているわけですから。本業の強さとかで評価する方がリターンへの効果はきっと大きいと思います。

でも、コーポレートガバナンスコードって、実は機能していませんでした、って時の会社へのダメージがかなり大きいので、機能しているかどうかを気にしておく必要はダウンサイドリスクの観点では必要なのでしょう。ただ、そのために深いところまで見抜ける力があるか、と言うと多分ないと思います。実際のところ、例えば会計監査ですら見抜けないものすらあるわけです。とはいえ、そう言う可能性や傾向というのは投資する会社を見るときに一つ手間をかけてチェックすることは悪いことではないのかもしれません。

とはいえ、もしチェックするスキルや時間や、と思うならば、コーポレートガバナンスコードと同様に、運用会社や機関投資家に課せられたコード、スチュワードシップコードによって投資先企業の監視や対話を義務付けられた大口投資家の判断に「乗っかる」という選択肢もありかもしれません。

ということで、気づけば超長文になった本記事、一旦終わりにして、スチュワードシップコードに話を展開したいと思います。

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