From "Slowsteps on Podcast" |
ファンドの世界に限らずですが、金融の世界というのは、(私が経験したビジネスで言うと、デリバティブ取引から証券化、そしてファンドまで)ある一定のビジネスドメインが出来上がる頃には一定の商習慣や関係者間の一種の阿吽の呼吸みたいな不文律、なんてものも出来上がっていくものですが、面白いもので、そこそこ盛り上がりそうだ、というビジネスドメインには外部からビジネスチャンスを狙って入ってくる人たちなんてのもいて、過去の経験則と新しい領域との相似性を元に、もっとこうした方が合理的だ、なんて言い始めてだんだん物事が複雑になる傾向があったりします。また、そうやって、どんどん参加者が増えていくと、当然、金融当局なんて下世話なお節介焼きが入ってきては、やれ投資家保護だ、やれ市場の健全性だ、なんて今まで聞いたこともないような概念で法令なんて形で規制を強いてくる、やれやれ、なんて古参の市場参加者は思ったり思わなかったり。
しかも、それを称してエコシステムの醸成のために民官が協力しあって、なんて格好いいことを言う御仁というのも本当にどのビジネスドメインに複数、それこそ地元の町会にそれぞれ三人くらい偏屈親父がいて、その横で近所の民生委員のような、これまた町内に必ず一人はいそうな、区役所の職員か税務署の役人か、と思うくらいに堅物でお節介焼きと、行政からこう言われているから、あんたちゃんとこーしなさいよ、なんて言われて、何言ってやがるんだい、俺は昔からずっとこうしているんだ、なんて、あーでもない、こーでもない、とやっているのと同じようくらいの確率でいたりするわけで、まぁ、そう考えると、ビジネスだろうがご近所付き合いだろうと、人間のやっていることは規模と扱うお金の差程度であまり変わらないのかもしれません。
ケイマン諸島で始まった Guideline って?
で、ファンドの世界で、無駄に頑固でいじっぱりのルクセンブルクの関係者は絶対に表向きは認めない(のもあって、EUという大枠とは全く関係なくAMLや税務で常にケイマン諸島を最後までブラックリストにするのですよ。まー、国の嫉妬ってのも男の嫉妬くらいねちっこいですな。)だろうけど、実質的なところを見れば、ファンドの設立数やそのスキームに対する自由度などからケイマン諸島がどうしても一番大きな法域、と言わざるを得ません。ということは、たくさんの参加者がいて、法律の許す限りあれこれ自分のルールでファンドを運営して投資活動に勤しんでいるわけですが、そうなると、ファンドの運営という観点で、法令等で求めている最低限の実務的な手続きというものがあるはずだけど、本当にそれをやっているのか?という疑問が生じるのです。
例えば、会社型ファンドを一つ取ってみて、ファンド、と呼ばれる会社には取締役が必要で、現地の会社法では最低二人はいないといけない、とされていて、ファンドを組成した時にはファンドのスポンサーである運用チームもウブでファンド初めて!なんて状態なので、ファンドの設立の時に弁護士先生から言われたことを片っ端から全部いうことを聞いていたので取締役もスポンサーから一人と、なんとなく外部の目が入っている風が「格好いい」から外部の取締役のプロ、なんて人にきてもらって、なんて準備をして「ファンド。はじめました」なんて言って募集して、投資なんてしてみましたが、どうにもお金が集まらない。そうしたら費用を削らないとパフォーマンスが上がらないので募集が進まないんじゃないか、なんてしたり顔の同業に言われて、じゃあ、削るべきは。。。ああ、社外取締役か、なんて言って、ごめん報酬が出せないから降りてもらっていい?なんて降りてもらってはや7年、なんて状態のファンドも当然ないわけではない、のです。
で、そんな状態のファンドが、よくわからないけど散見される、となると、島の一大産業で島民の生活を支え(、一番大事なことである、大事な税収源でもある)ファンドの誘致をひたすら進めたい、ケイマン諸島当局からすれば、ただでさえ、ルクセンブルクみたいな元祖ヨーロッパの貴族の資産隠しと税金逃れの巣窟のような国から、タックスヘイブンで、あるんだかないんだかわからない法令環境の島なんて、投資家は安心してお金を預けられないし、犯罪収益のようなものが集うマネロンの巣窟だから安心ならん(だから、法令はちょっと肩苦しいけど、スイス同様、山々に囲まれているからヨーロッパの貴族的で秘密主義の香りがまだ残っているので、歴史と文化の影で安心的な雰囲気だから、ようこそルクセンブルクへ!)、と言われるのは困るので、ファンドの品質をなんとかしなければならない、と、ケイマン諸島金融当局 (Cayman Islands Monetary Authority: CIMA)は考えたんでしょうね。知らんけど。
とはいえ、ケイマン諸島だって、古くは Mutual Fund Act と言って日本人が大好きな投資信託のような(現実には150年という、事実上)無期限で誰もが出入り自由なオープンエンドファンドに対する規制を定め、最近盛り上がっているプライベート資産の投資に使われる期限を定めて投資家の出入りもほぼ出来ないクローズエンドファンドの規制である Private Fund Actもやっと2020年に導入しているし、スキームごとにExempted Company ActやTrust Act, そして Exempted Limited Partnership Actと、ちゃんと事業体の整備もして、かつ税務的な特典も一定のルール(一番わかりやすいのは、島の中に投資も事業もしないでね、お金はちゃんと島の外で使うことで島には何もしないでね、だってオーバーツーリズムは困るから)に基づいて免税等の措置を提供するし、米国を始めとするG7だとかG20の税制の余波で資金が逃げているのに出て行った先が悪い的な風潮を払拭するべくFATCA/CRSの動きにはちゃんと追随するし、マネロンの巣窟とか言われるのはもっての外なので、AMLCO/MLROの制度を始めとした、「マネロンだめ、絶対」を推し進める AML Regulationだって(ルクセンブルク(ベーっだ)を始めとする)オフショアの中ではいち早く取り組んだのです。
でも、器と仕組みだけでは、実は足りないのは、日本のそこかしこに「不適切にもほどがある」くらい局所的な遵法原理主義が蔓延る位、形式と意識高い系原理主義者だけで支えられているくらい薄っぺらい話、某⚪︎国にいけば「国が法を定めるなら、市井は法を抜けるだけだ」と言い切るくらい実効性の薄い話なのです。
要は、ガバナンス強化、って話
さて、その実効性を上げる、という目的で、今回の “new guideline” なるものが導入されたのですが、どう考えればいいでしょう。さっくり言うならば、法令を守るための仕組みづくり、いわば、(スポンサーの金策尽きた結果の経費削減策のフリをした投資家への利益還元、というフリをしたファンド維持によるスポンサーの収益源確保なる利益相反 – 日本ではそう取られないようですが、投資家の観点で言えばそうなるって気づいていますか? – の回避、を含めたケイマン諸島で設立されるファンドの品質管理)なのですが、世の中ではこれをガバナンスと呼ぶ訳なのです。そうですよね、日本でガバナンスといえば上場企業のノブレスオブリージュ的なものである一方、取引所からすれば上場している株式の運営がガバナンス不全で取扱商品の価格暴落とか困りますものね。
ですが、そもそも、それってどういうことなのでしょう。もちろん、胴元の大人の事情、もありますが、そもそもこの「ガバナンス」の本質、と言うところに目を向けてみましょう。
ガバナンスって日本だと会社の話だけど、で、日本におけるガバナンスの実態の話
元々、ガバナンスって言葉は「内部統制」って言葉で置き換えられるものですが、これはいわば、組織が「意図したことを繰り返しできる体制」であり、その結果として外的要因はさておき「必ず繰り返されることで事業(と収益性)が再現される」ことであり、それがJ-SOX法の側面を持つ金融商品取引法とそれが監視監督する上場企業の株式にとって大事であるのと同時に、その「仕組み」と「再現性」が確保されることを「保証するために第三者が監査」する、と言うPDCAです。
そうですよね。よくわからない企業が「どうやら儲かっているらしい」が、ワンチャン気まぐれでやったことで儲かった、では、来年の今頃本当に同じように収益を確保しているかわからない、のです。それに対して、頭のいい「アナリスト」とか「投資プロフェッショナル」と呼ばれる人たちが投資するかもしれない企業の価値 = 発行株式総額、とやらを「公正」に「評価」するには、この瞬間の資産だけを見るのではなく、今の収益性が向こう何年維持できるか、で判断するのですから、今やっていることが「未来永劫」続くことを前提にしているのです。としたら、テニスで毎回ボールの当て方が違うようなアマチュアが絶対エラーすることなくラリーができる、なんてことがないからアマチュアであるように、事業の継続性と再現性、と言うのが大事になる、のです。
でも、日本のガバナンスの話ってなんでしょう。取締役を何人にしたらいい、そのうち女性目線が入ってその声が通らないといけないから男女の構成比率を、って、事業の継続性と全く関係のない論点ですよね。ほんと、その本質に気づかずに形式論で(企業運営から投資家、法令などなどさまざまな観点で、ってことは要は無意味で無駄にたくさんの)ものを語って食い物にしている人間(例えば性差を利用した取締役派遣だったり、法律論だから、と法律家としての用心棒ビジネス、あとそれのコンボ、とか、それを煽るES⚪︎コンサルとかとか)のなんと多いことか(あ、ここ、悪口です)。ま、そこをどう判断するかは、そのステークホルダー(取締役から監査役のような役員と言う名の主体的なルールを作る側と、従業員のようなルールに従って動く側、それを監査と言う名であれこれ批評する(だけして自分では何もしない、というか出来ない)監査役、そしてその結果の責任を経済的に取ることになる株主に至るまで)の仕事だと思うんですけどね。
ということは、それに投資するファンドのだってガバナンスはいるでしょ?
じゃあ、こんなドロドロのガバナンスの問題をファンドの世界に持ってくるとどうなるのでしょう。
- 会社でいう株主はファンドにおける投資家、でいいでしょう。
- 役員は一義的に役員という意味で一緒です。まぁ、組合型のファンドだと、GP/無限責任組合員が全ての判断権限を負うのですが、これって大抵は法人ですから、その役員、という二段構成になるという面倒な話がありますし、契約型/信託型だと受託者 /trustee ですが、これも法人ですからその裏側で判断する取締役、となるのは一緒ですね。とすると、こういう運営上の一義的な判断責任者を任命や罷免はどういう基準で、またどういう手続きで進めるのかが決まっていないと、最悪の場合、取締役がいない空白の期間が発生して判断すべき時に判断ができなくなってしまうリスクがあることになります。
- 従業員にあたる、ルールに従ってファンドの運営に手を動かすのは誰でしょう。確かに日本で匿名組合を運営する、と言ったときに本来は、事業法人がその新規事業(というか儲かりそうなんだけど自己資金投入するのは嫌だから、外部に一口乗らないって誘うような、いわゆる「ワンチャンあるかも」ビジネス)をするときにその事業にだけ利用する資金調達を行う、というならば、そこに関わる(社長や上司に業務命令と言われて手を動かす羽目になった)その会社の従業員はいるかもしれません。とはいえ、その匿名組合のためだけに働くケース、ばかりではないでしょう。また、日本の投資事業有限責任組合を組成・運営している無限責任組合員をやっている会社形態のチームあたりだと、そこのCFO以下、財務周りとIRを見る(この仕事の組み合わせって結構不思議なのですが、特にバイアウトあたりだと、投資以外全部、って意味でこの二つを対外的に兼務していますっていう人、本当に多いですよね)従業員が脳で汗をかきながら色々な運営作業に携わっていると思います。
ですが、まぁ、海外、特にケイマン諸島のファンドのケースを今考えていますので、セルフ・アドミニストレーションというのは、よほど巨大なGPにならない限りはなくて、通常は、ファンド・アドミが経理から資金管理から、投資家管理などなどの実務を一手に行いますし、コーポレート・セクレタリがGPの取締役会の開催・運営やその議事録の管理、GPの株主名簿の管理などを引き受けますので、専門の従業員を雇うことなく業界標準な運営業務のサービス提供を受けることになります。
あ、当然、会計監査や資金管理口座を開設する銀行、場合によっては証券を預かってもらうカストディ、なんてものもファンドとしてお願いすることになるのですが、ここは会社と同じですね。
とすると、どういう理由でこういった外部の関係者を任命するのでしょう。スポンサー(の社長)の気分?じゃあ、どういう理由でそこを使うのを止めるのでしょう。やっぱりスポンサー(の社長)の気分?
それって会社に当てはめてみると、一般的な企業で従業員を採用したり、解雇するルールや手続きが決まっていないと、従業員もいつ首って言われるか不安定な状態が続くので怖くて働けない(ので、日本では解雇に対して結構厳しい労働基準法があるんですよね)し、そこに出資する株主だけでなく、会社の運営責任を負う経営者にとっても、事業と収益性の安定性に不安が起こります。要は、思いつきって奴は行き当たりばったりなので厄介だ、ということなのです。
同様に、ファンドに置き換えたとしても、どういうサービス品質の外部サービスを継続して利用して運営のクオリティを維持する(そのためには、クオリティの劣化が見られる外部サービス提供者を解任して新しいサービス提供者に移行する基準や手続きを決めておく)ことが出来るかが、出資をする投資家の立場からだけでなく、運営する側にとっても、(いざという時に人生最高の思いつきを思い付かねばならないプレッシャーから解放されて)安心できる、というものなのです。
ということは、ファンドの運営方法を文書化して、それに従って、外部運用者をうまく使いながらファンドを運営していくことが常に均一の運営方法を維持する方法、と言えるのです。って今回CIMAがguidelineでまず示したということなのです。
とはいえ、根本として考えることとは
でも。なのです。
もし、あなたが会社を一から始めると思ってください(作ったことがあるって?そうしたら、その最初の日のことを思い出してください)。そのあなたの大事な会社が設立した瞬間、会社には何があったでしょう。資本金?まぁ、銀行口座だって開いていないので、有ってないようなものです(で、司法書士さんにどうやって報酬を払うんだろうって悩むんですよね)。実は、そこにあるのは登記のためによくわからないようなわかったようなつもりで作った定款だけ。会社の骨組みになるルール、ですが、そこにはスタッフを雇用する方法どころか、これから儲けていくための仕組みを文書化したものなんて書かれていません。そんなものは社長であるあなたの頭の中にあるだけです。
としたら、出来立ての小さな会社にとって大事なことはやったことのないルールを想像と妄想を膨らませてまず書いてみる、ではなくて、まずは売り上げを立てないと頑張って作った家賃も自分への給料も、もちろん会社を作ったから、それまでにお世話になった人にご馳走を、もしくは、「俺、シャッチョーさんなんだぜ、すごいだろー」、なんて言いながら大盤振る舞いした接待費だって払えなくな(って、そんな会社は立ち行かなくな)ります。それに、やり方は自分の頭にあって、自分でする限りは(多分)同じことを繰り返すか、日々進化させて(いると自分では信じて)売り上げを立て、資金を回収することを行なっているわけですから、それで十分じゃないの?って思うわけです。もし、新しい従業員を雇ったなら、そのやり方を説明して、同じようにやって貰えばいいのです。まぁ、それ自体は「昭和」だけど、その説明をついでにマニュアルにしてその次に教えるときに使ってもらえたら、もうそれが「令和」。
とすると、会社のマニュアルを作って、なんてことは、それなりにスタッフが増えてきて、ビジネスのやり方とかが言葉で共有できなくなるくらい大きくなったら始めて費用対効果として意味が出てくるだろう、というのが想像できます。
ファンドの世界でも同じです。ある程度小さくて、関係者も少ないファンドなら、マニュアルに書かなくても、有能なコーポレートセクレタリが(自分の社内のマニュアルに基づいて)会社法で要請されているさまざまなことをガイドしてくれるので、それに依拠する方が早いよね、って場合も当然にあるのです。
ですので、CIMAも、(日本の財務省がファンドの運営会社の事業登録をするときに、サイズの多寡に関わらず必ず全社に(まだ始めてもいない業務についての)業務方法書と、二人しかいない会社にすら大企業にあるような組織・業務分掌規程を決めるように、というのと違って、)みんなに画一的に manual を作るのではなく、サイズや戦略などの事業がある場合には manualを作らずとも良い、と言っているのです。もちろん、ない代わりの手当、というのは当然に説明を求められるわけですが。
考えるべきことはまだまだあって
また、関係者が増えると、気にせねばならないこと、といえば利益相反です。ただでさえ、投資家と運用者とで、同じファンドにいるから利害関係はファンドのお題目である、儲けること、という点には一致しているはず、なのですが、投資家は運用者にフィーを払う人で、運用者は投資家からフィーを頂戴する人。としたら、その関係性を見ると専従義務があるのか、それともその他のフィーを払う人のために公平に働く必要がある(ため、売り買いの判断が最大限投資家のためにならない可能性がある)のか、を投資家はあらかじめ理解しておく必要があります。
これは同じことが、ファンドの他の関係者にも適用されることがあります。例えば、事務委託を受けるファンドアドミのグループからGPに派遣された社外取締役が、ファンドを代表して事務委託のフィーの値上げの依頼を受ける、というケースが分かりやすいですね。その派遣された社外取締役がそのフィーの値上げを受け入れる判断する取締役会にいて、判断を後押しするのは、間接的とはいえ、自分の所属する組織の利益を増やすことを手伝うことになりますので、その議論の時には席を外す(とか票を投じることを棄権する)ようなことをする必要が出てきます。
とすると、ファンドが投資家を募集する目論見書 (PPM)において、元々この利益相反に関する箇所はあって開示することはしていましたが、今回の guideline の導入に伴って、より細かい分析と結果の開示が必要になった、と考えられています。
ちなみに guideline導入前から存在するファンドは、そのため見直し作業とともに PPMの更新が必要、なんて言われていますが募集期間を終えたファンドが改めてPPMの更新をするなんて、その更新したPPMを使って何をするの?って無駄でもあるので、今回のguideline の導入に伴うマニュアル整備を行った(ので、見たければGPまで言ってくれたら開示するよ、ということも言わねばならないそうですが)のと同時に利益相反について見直したところ、こんな可能性があるのでご注意を、という通知を作って(もちろん、IMが勝手に送るのではなく、取締役会に内容の精査 – そりゃそうですよね、自分を含めた利益相反に関する記述なのですから – とGPとしての承認の上)投資家に通知する、のが費用対効果的に良いのでは、と考えられているそうな。
まとめ:大事なことは、comply “and” explain
そういえば、日本において、コーポレートガバナンスコードが導入された時などに、よくこのルールに従うか、従わない、もしくは従えない場合には、その理由を説明すること、という comply or explain 方式だ、という説明がありました。そのため、「説明したくないから」とりあえず形式論として従えばいいんだろ、のスタンスで人数合わせ的な取締役会の再構成が行われて、その結果として前述のような変なビジネスが蔓延って、さまざまなオーバーヘッドコストが嵩む状態に突入しているように見えて仕方がなく、個人的には、「上場ってそんなに幸せ?」ってすら思えてくるのです。
まぁ、そんなことはファンドを生業にする私からしたらどうでもいい話なのですが、投資して儲けることが一義的かつ究極の目的であって存在意義であるファンドのことを考えた場合、その運営や維持という観点で、なぜそうした?という説明は常に付きまとうと考えています。他方で、日本のファンドに携わる人たちは何かがあると「フィデュシャリー・デューティ」「受託者責任」って言葉だけで全ての片付けようとしますが、本当にそれが本質的な「投資家のためなのか」という判断が抜けていて、「ファンドの維持」に走る傾向にあるようにも思います。「ファンドの継続・維持」自身が実は利益相反、要はフィーを払ってくれる究極のスポンサーにとってご利益があるのか?という観点での判断対象であれ、それを説明できるようにすべきでしょう。
(まくらのパートではなく、guidelineの話の)冒頭に挙げたような、ファンドのサイズが小さいから関係者の報酬を減らした、は、その結果、関係者から得られるサービスの低下(あ、日本では割と勘違いされますが、契約に基づくサービス提供なのですから、報酬が減ればカバーすべきサービス範囲が狭まるなど、提供されるサービスだって当然悪くなります。その意味で関係者はファンドの管理維持の観点での(皆さんの大好きな)fiduciary dutyを投資家に直接負うわけではなく、契約関係における義務の履行、なのです。ですから、そのサービスの低下を受け入れるかどうかが、本来運用者のフィデューシャリーデューティーの観点で考えるべきであって、としたら、そこの報酬を下げるなんて判断は本来出来ないのです。ここ、試験で出るくらい大事な話ね。)の中で継続することで全ての費用・報酬を投資家に対して負担し続けてもらってでもファンドを続けることに対して、ファンドのサイズが小さいからファンドを閉じることで投資家の費用負担を継続させない、とすることの方がより良い判断(言い換えれ投資家にとっても最終的なリターンの向上)ではないのか?という視点が必要なのではないのでしょうか。
同様に、ファンドの運営体制をどう作るかはファンドをやりたいスポンサーが決めるべき、なのですが、その運営体制をどれだけ(法令に対して)しっかりとしたものにしたのか、を説明出来るようになる(という表現は個人的に好きですが、世の中的には、説明させられることになる)ので、投資家候補は、投資戦略やそのスポンサーのトラックレコード、そこから想像されるポートフォリオの構成や回収の確率といった「いわゆるファンドが投資家に語る(格好のいい)運用」の話、だけでなく、それを実現できる運営体制についても説明して納得する必要が出てきた、ということでもあるのです。
言ってしまえば、ファンドのガナバンスって「comply and explain」なのです。こういうルール環境の中、自分たちはこうしたいから、こうしました。それを投資するにあたって判断してください。極めてシンプルなことなのです。でも、一番大事なのは他でもなく、ファンドというビジネスを自分たちがこうしたい、という考え方を持って、固めて(PPMはもちろんのこと、自分たちのmanualなのか、外部の運営マニュアルでもなんでもいいから)文書化して、そのあとはそれに愚直に従って実行し続ける、ことなのです。
ということをちゃんとしてね、というのが、今回のguidelineの導入が目指す本当のゴールなのではないかな、とここまで書いていて自分の中で整理が出来たのですが、ま、ケイマン諸島当局の意図はすでに述べたとおりなので、多分気のせいだと思いますが。